Actions speak louder than words.

行動は言葉よりも雄弁

【インドの古い話】カニとゾウ

話に出てくる、ボーディサッタとは「のちに仏陀になるはずの人」という意味で、お釈迦様の前の世の姿のこと。

内容

むかしむかし、ブラフマダッタ王が、ベレナスの都で国をおさめていたころのことです。ヒマラヤ山の中に大きな池があって、そこに1ぴきの大きな金色のカニが住んでいました。その池は、カニが住んでいるというので、「カニ池」とよばれていました。その金色のカニはものすごく大きなカニで、よくゾウなどをつかまえては、殺してたべるので、ゾウはこわがって、池の近くへ草をたべにはいきませんでした。

そのころ、ボーディサッタが、このカニ池の近くに住んでいるゾウの仲間の王さまの子どもに生まれてきました。子ゾウは年とともに、ちえもつき、からだも大きく力も強くなって、りっぱなゾウになりました。

やがて、このゾウは妻をむかえました。そして、なんとかしてあの大ガニを退治しようと思い、父ゾウに、カニを退治したいと申し出ました。

「それは、とうていできないことだ。」と、父ゾウは言いました。

けれども若いゾウがなんどもなんども、ぜひ退治させてくれとたのむものですから、父ゾウもとうとうしまいには、

「では、やってみるがよかろう。」と言って、ゆるしました。

そこで若いゾウは、カニ池のまわりに住んでいる仲間を全部よびあつめ、そのゾウたちを引きつれて、池のそばへおりていきました。そして、みんなに、

カニがゾウをつかまえるのは、ゾウが水のほうへおりていくときかね?それとも、草をたべているときかね?それとも帰ろうとするときかね?」と、たずねました。

「帰ろうとするときに、つかまえるのです。」と、一同はこたえました。

「よろしい。では、おまえたちはこれから池の岸へおりていって、すきなだけ草をたべ、すんだら先にのぼってきなさい。わたしが1ばんあとからのぼるから。」と、若いゾウは言いました。みんなは言われたとおりにしました。やがて若いゾウが1ばんあとからのぼっていこうとすると、それを見つけた大ガニが、はさみで若いゾウの足をがっしりとはさみました。ちょうど、かじ屋が大きな金火ばしで鉄のかたまりをしっかりとつかむように。

若いゾウの妻は、それを見ても逃げようとはしないで、夫のそばに立っていました。ゾウはカニを引っぱりました。けれどもカニはびくともしません。こんどはカニがゾウを引っぱりました。すると、ゾウはずるずるとカニのほうへ引きずられていきました。若いゾウはおそろしさのあまり、悲しいさけび声をあげました。それをきくと、ほかのゾウはみんな、鼻をならしながら、あわててだらしなく逃げてしまいました。ゾウの妻もがまんができなくなって、むちゅうで逃げかけました。そのとき若いゾウは妻をよびとめて、

 角のはさみに とび出た目

 甲らはつるつる 池の主

 こいつにわたしはつかまった

 いとしい妻よ 見すてるな

 

と、言いました。妻はこれをきくと、引きかえしてきて、

 わたしはあなたを見すてません

 いくよひさしいわが夫

 広い世界をさがしても

 いとしい方はあなただけ

 

こう言って、妻は若いゾウをはげましました。それから、「あなたをはなしてくれるように、カニにたのんでみましょう。」と言って、カニにむかい、

 海にも川にもいるカニ

 なかでもえらいあなたさま

 わたしは泣いてたのみます

 どうぞ夫をはなしてね

 

ゾウの妻がこう言ったとき、カニは女のやさしい声をきいて、ふらふらっと心をゆるし、手をゆるめたらどうなるかも考えずに、ゾウをつかんでいたはさみをゆるめました。そこをすかざすゾウは足をあげて、カニの背中をふみつけたので、カニは甲がくだけて死んでしまいました。若いゾウは喜びのさけび声をあげました。それをきいて、仲間のゾウももどってきて、みんなで死んだカニを引きずりまわし、地面に引きすえて、さんざんにふみつぶしました。それでカニの2本のはさみは胴からもげてしまいました。

このカニ池はガンジス川とつながっていたので、その後洪水が起こって、ガンジス川の水がカニ池に流れこんできました。やがて洪水がおさまると、水はまたガンジス川へ流れ落ちていきましたが、そのときにカニの2つのはさみもいっしょにおし流されて、ガンジス川をくだっていきました。1つのはさみは海に流れだし、もう1つは川で水遊びをしていた10人兄弟の王子にひろわれました王子たちはそれを持って帰って、小さなたいこ作り、そのたいこを作り、そのたいこをアーナカとよびました。海に流されたほうのはさみは、アスラという巨人にひろわれました。巨人はたいこをつくり、そのたいこをアーランバラとよびました。そののち、巨人が神さまと戦争をして負けたときに、このたいこを残して逃げました。神さまはそれをひろって、じぶんで使うことにしました。「雲の上でアーランバラのたいこのようなかみなりがなっている。」と、世間で言うのは、このたいこのことです。