話に出てくる、ボーディサッタとは「のちに仏陀になるはずの人」という意味で、お釈迦様の前の世の姿のこと。
内容
むかしむかし、ブラフマダッタ王が、べレナスの都で国をおさめていたころのことです。イリーサという、ひとりの同業組合長がいました。この人はたいそう金もちでしたが、ひどく不格好で、おまけに信心ごころがなくて、けちんぼでした。いくら財産があっても、人には分けてやらず、じぶんで使うこともしないのですから、それこそまったくの宝の持ちぐされでした。
この人の祖先は7代のあいだ、たいそう情けぶかい人ばかりで、貧乏人にはおしげもなく恵んでやるというのが、この家のならわしのようになっていました。けれど、イリーサが家をつぐと、そんなしきたりは、いっさいやめてしまいました。そして慈善堂を焼きはらい、物もらいをなぐりつけて門前から追いちらし、お金をためることだけに夢中になっていました。
ある日のこと、イリーサが宮殿から帰る途中、ふと見ると、いなかからきたひとりの男が、旅につかれたようすで、いすにこしをおろして、つぼから茶わんにどぶろくをついでは、くさい干物をさかなに、それを飲みほしているところでした。
それを見るとイリーサは、自分も酒が飲みたくてたまらなくなりました。けれど、(いやいや、わたしが飲めば、ほかの連中が一緒に飲もうと言って寄ってくるにちがいない。そうしたらお金がかかって、大ごとになる。)と、思いました。それで一生けんめいがまんして歩きつづけました。けれど、あまり飲みたいのを、むりやりにがまんしたので、しまいにはやりきれなくなって顔がまっさおになり、やせこけたからだには青すじがふくれあがって、まるで病人のようになってしまいました。
家へ帰って、おくの間に入り、床にかじりついて寝ていますと、妻がきて、背中をさすりながら、「どこかおわるいのですか?」と、たずねました。
イリーサがそのわけを話しますと、妻は、「それなら、家であなたひとりぶんだけのお酒を作ってあげましょう。」と、言いました。
イリーサは、「いやいや、家で酒を作ったりしては、みんながほしがるだろう。そうかといって、酒屋から酒を買ってきて、家で飲むわけにもいかないし……」そう言って、思案していましたが、やがてすこしばかりお金を取り出し、下男に、「酒屋へいって、つぼに1ぱい、酒を買ってこい。」と、言いつけました。
下男が帰ってくると、その酒つぼを町はずれの川のほとりへ運ばせ、街道からちょっと入ったやぶの中へ持ちこませました。そして、「おまえは、あっちへいっていなさい。」と、言って、下男をすこしはなれたところに追いはらってしまうと、イリーサはひとりで茶わんに酒をついで飲みはじめました。
さて話かわって、イリーサの父親という人は、生きていたころ、慈善をほどこし、よいおこないをつんだので、いまでは神々の国に生まれ、インドラという神(サッカともいう。仏教といっしょに日本に入り、帝釈として知られている)になっていましたが、ちょうどこのとき、むすこのイリーサがじぶんの志をついで施しをつづけているかどうかと思って、天上から下界を見おろしました。すると、むすこは施しをつづけるどころか、家のしきたりを破って、慈善堂をこわし、物もらいをなぐりつけて、門口から追い払ったばかりでなく、わずかの酒も人に分けるのがいやさに、やぶの中にかくれて飲んでいることがすっかりわかりました。
(わたしはこれからあの子のところへいって、すべてのおこないには、かならずそれに応じた報いがある、という道理を教えてやろう。そしてなんとかして、あの子の心がけを改めさせ、あの子を慈悲ぶかい、つぎの世には神々の国に生まれるのに、ふさわしい者にしてやらなければならない。)と、思いました。そこで、父親はもういちど、人間の姿になって、地上へおりてきました。
むすこのイリーサそっくりの姿になった父親は、その足でラージャガハの町へいき、宮殿の門に立って、王さまにお目どおりしたいと申し出ました。王さまが「ここへ通せ。」と、おっしゃいましたので、イリーサの姿をした父親は、うやうやしくあいさつをして、王さまの御前にすすみでました。
「組合長よ、このような時ならぬ時刻に、なんの用できたのかね?」と、王さまはおっしゃいました。
「じつは、ほかでもございません。わたくしの家には数えきれないほどの財産がございます。このたび、その財産をぜんぶ、王さまのお倉におさめていただきたいと思い立ったのでございます。」
「いや、組合長よ、それにはおよばぬ。わしのところには、それよりも、もっと多くの財産があるのだ。」
「もし陛下がお入り用でなければ、わたくしはじぶんのすきなように、あの財産をだれかにやってしまいたいとぞんじます。」
「おお、それは自由にやるがよかろう。」と、王さまは言いました。
「では、そうするといたしましょう。」
イリーサになった父親はそう答えると、うやうやしくあいさつをして王さまの御前をさがり、組合長の家にいきました。
家に着くと、召使いがそろって迎えにでてきましたが、だれひとり、これがほんとうのご主人でないとは気がつきません。父親は家に入りがけに、入り口のところで立ちどまって、門番をよび、「もしだれか、わたしに似たような者がやってきて、ここの家の主人だなどと名のって入ろうとしたら、そんなやつはこん棒で思いきりなぐりつけて、追いはらってしまえ。」と、言いつけました。それから2階へあがって、りっぱな長いすに腰をおろし、イリーサの妻をよびました。妻があらわれると、イリーサになった父親はにこにこして、「おまえ、きょうはひとつ、気まえよく施しをしようではないか。」と、言いました。
それをきいて、妻も、子どもも、召使いたちも、(こんなことをおっしゃるとは、めずらしいことだ。きょうは、きっとお酒をあがったせいで、あんなにごきげんがよくて、気が大きくおなりになったにちがいない。)と、思いました。それで妻は、イリーサになった父親に、「おすきなように施しでもなんでもなさいませ。」と、言いました。
「では、ひろめ屋をよびなさい。そして、たいこをたたいて、町じゅうの人に、だれでも金、銀、宝石、しんじゅなどのほしいものは、組合長イリーサの家にくるように、大声でふれさせなさい。」と、イリーサになった父親は言いました。
イリーサの妻は言われたとおりにしました。まもなく大ぜいの人々が、かごや袋をもって、イリーサの家の門口へおしよせてきました。イリーサの姿をしたインドラの神は、さまざまの宝物がつまっている倉の戸を全部あけさせ、「これは、わたくしからあなたがたへの贈り物です。なんでもすきなだけ持ってお帰りなさい。」と、言いました。人々は宝物をつかみだして、床の上に山とつみ、それをじぶんの持ってきた袋や入れものにいっぱい入れて帰っていきました。
その人々のなかに、ひとりのいなか者がいました。その男は、イリーサの車にイリーサのウシをつけ、それにさまざまの宝物をいっぱいつんで、町から街道のほうへ帰っていくところでした。途中、れいのやぶのそばを通るとき、その男は、車を走らせながら、大声で、
「おなさけぶかいイリーサさま、百歳までも長生きしなさるがいい。おまえさまのおかげで、このわしはきょうから働かずとも、一生安楽に暮らされる。このウシもおまえさまのウシ、この車もおまえさまの車、この宝もおまえさまの宝、みんなおまえさまが授けてくれた。わしの親ゆずりのものはひとつもない。」と、さけんで、組合長のえらいことをほめました。
イリーサは、お酒を飲んでいるところへ、こんなことばが聞こえてきたので、心配でたまらなくなって、からだがガタガタふるえだしました。
(なんだか、わたしの名まえを口にだして、なんだかんだと大声で言って歩いているものがあるぞ。もしや王さまが、わたしの財産をみんなに分けあたえてしまわれたのではなかろうか。)
そう思ったのでイリーサは、すぐさま、やぶからとびだしてみると、目の前にじぶんのウシと車があるので、いきなりウシのたづなをつかまえて、
「これ待てっ!このウシと車は、おれのものだぞ。」と、さけびました。
いなか者は車からとびおりて、
「この悪者め!組合長のイリーサさまが、町じゅうのものに財産を分けてくださったんだぞ。おまえなんかの知ったことじゃないぞ。」と、かんかんになってどなりながら、イリーサにとびかかってきました。そしてかみなりの落ちるようないきおいで、背中をなぐりつけると、また車に乗っていってしまいました。
イリーサはやっとのことで起きあがり、手足をぶるぶるふるわせながら、どろをはらい、いそいであとを追いかけていって、もういちど牛車にしがみつきました。いなか者はまたもや車からおりて、イリーサの髪の毛をひっつかんで、ねじふせ、頭をさんざんになぐりつけると、相手の首ったまをつかんで、もと来たほうへ投げとばし、じぶんはさっさと車にのっていってしまいました。
こんなひどい目にあわされたものですから、イリーサはせっかくの酔いもすっかりさめてしまって、ガタガタふるえながら、早く家へ帰ろうと、いそいで歩いていきました。家の近くまでくると、大ぜいの人が宝物をもって帰るところです。イリーサは、この人あの人をつかまえて、
「いったい、どうしたことだ!王さまがわたしの財産を取りあげたのか?」と、さけびました。
つかまえられた人は、みなイリーサをつきとばしました。イリーサはからだじゅう打身だらけになって、ほうほうのていで自分の家へ逃げこもうとしますと、門番がぐいっと引きとめて、
「こらっ!悪者め!どこへいく?」と、どなりつけました。そして竹のムチでさんざん打ちこらしたあげく、イリーサの首ったまをつかんで、門の外へ投げ出だしてしまいました。
「これはもう、王さまにお目にかかって、まちがいを正していただくほかはない。」と、イリーサは悲しそうに言って、宮殿へ出かけました。そして王さまに、「ああ、王さま、あなたはどうして、わたくしの財産をとりあげたりなどなさるのです?」と、さけびました。
そこで王さまは言いました。
「組合長よ、それはわたしのしたことではない。おまえがじぶんでここへ来て、もしわたしが受け取らなければ、あの財産はみんなに分けてしまいたい、と、言ったではないか。そうして、じぶんでひろめ屋をやとって町じゅうあるかせ、その上でやってしまったのではないか。」
「王さま、そのようなことを申しあげにきたものは、けっして、このわたくしではございません。陛下は、わたくしがどんなにつましく、しまり屋だか、ごぞんじのはずでございます。わたくしは草の葉にやどる、つゆ1しずくほどの油でも、人に恵むようなことはいたしません。陛下、どうぞ、わたくしの財産を人に分け与えた人間をよんで、しおしらべいただきとうございます。」
そこで王さまは、もうひとりのイリーサをよびにやりました。ふたりはどこからどこまでそっくりで、王さまもけらいたちも、どちらがほんとうの組合長か見分けがつきません。けちんぼのイリーサは王さまに、
「この男が組合長だなんてとんでもない。わたくしこそ、まちがいなくほんものの組合長でございます。」
と、言いました。
けれども、王さまは、「いや、じつは、わたしもどちらがほんもののイリーサか、まるで見当がつかないのだ。だれか見分けることのできるものはいないか?」と、たずねました。
「わたくしの妻なら見分けられるとぞんじます。」と、イリーサが言いましたので、王さまは組合長の妻をよびよせ、どちらがほんとうの夫か、とたずねました。すると妻は、父親のほうがほんとうの夫だと言って、そのそばへいってしまいました。つぎには子どもや召使いがよばれて、同じことをたずねられました。だれもかれもみんな父親のほうに味方をしました。
そのときイリーサはふと、自分の頭の髪の毛の下に、だれも知らないイボがあって、床屋だけが、それを知っていることを思いだしました。それを最後のたのみとして、イリーサは、
「床屋をよんで、じぶんがほんとうの組合長であることを確かめていただきたい。」と、申し出ました。
そこで王さまは床屋をよび出し、
「ほんもののイリーサを見分けることができるか?」と、たずねました。
「ふたりの頭を見ますれば、わかるとぞんじます。」と、床屋は言いましたので、王さまは、
「では、ふたりの頭をしらべてみよ。」と、命じました。そのとたんに父親の姿になっていたインドラの神は、神通力でじぶんの頭にイボをつくりました。床屋がふたりの頭をしらべてみると、どちらにも同じようなイボがあるので、どちらがほんもののイリーサか、どうしてもわかりません。さすがの床屋も、「わかりかねます。」と、答えるよりほか、ありませんでした。
イリーサは最後のたのみのつなもたち切られたのを見て、ガタガタふるえだしまし。そしてたいせつな宝物をなくした悲しみに耐えられず、その場にたおれて、気を失ってしまいました。
そのとき、インドラの神は神通力をあらわして、空中に浮かびあがり、そこから王さまにむかって言いました。
「王よ、私はイリーサではない。インドラの神だ。」
まわりの人々はイリーサの顔をふいたり、からだに水をかけたりしてやりました。イリーサはやがて正気づいて起きあがると、神々の王インドラの足もとにひれふしました。インドラの神は言いました。
「イリーサよ、あの富はもともと私のもので、おまえのものではない。わたしはおまえの父親、おまえはわたしのむすこなのだ。わたしは生きていたあいだ、いつでも貧しい人々におしみなく施すようにつとめ、よいおこないをすることをたのしみにしてきた。そのおかげで、このような高い位にのぼり、インドラの神に生まれかわった。だが、おまえはわたしの手本にしたがわず、むさぼりの心をおこし、ひどいけちんぼうになってしまった。おまえは慈善堂を焼き、物もらいを門口から追いはらい、ひとりで金をためることばかりに夢中になっている。そしてその富を、じぶんでもたのしまず、人にもたのしませようとしないのだ。おまえの財産は『宝の持ちぐされ』となってしまった。しかし、いまからでもおそくない。もしおまえが、慈善堂をもとどおりにして、慈善をすれば、それはおまえのよいおこないに数えられるだろう。だが、もし心を入れかえる気がないなら、わたしはおまえのもちものをなにもかもうばいとり、わたしの手にしたかみなりで、おまえの頭を打ちわって、殺してしまうぞ。」
このおそろしいことばを聞いて、イリーサは命がおしくてふるえあがりました。そして、「これからは、きっと情けぶかい人になります。」と、ちかいました。インドラの神はこのちかいの言葉を受けいれ、空中に浮かんだまま、むすこにいましめを授け、真理をとききかせていましたが、やがて、天上のすみかへ帰っていきました。それからというもの、イリーサは熱心に慈善をほどこし、よいおこないをつんで、つぎの世には天上の世界に生まれるのに、ふさわしい者になったということです。
親からの財産は自分のものではなく、慈善を施すためのもの
言われてみればたしかに親から継いだものはもともとは親のもので、自分一人で手に入れたものではない。それを人のためにも使わず、自分のスキルアップのためにも使わないのであれば、親からすればほかの人にあげてしまいたくなるのかな。
自分が得たものはどんどんアウトプットして人に伝えていくこと、人に教えることも施しになると信じて続けていこうと思う。