話に出てくる、ボーディサッタとは「のちに仏陀になるはずの人」という意味で、お釈迦様の前の世の姿のこと。
内容
むかしむかし、ブラフマダッタ王が、ベレナスの都で国をおさめていたころのことです。王さまにおつかえしていた坊さんの一家が熱病にかかりました。そして、坊さんも家族の人たちもみんな死んでしまいました。そのとき、むすこがひとりだけ壁を破って逃げだし、あやうい命を助かりました。(インドでは伝染病にかかった人の家の出入り口を、壁でふさいで、隔離する習慣がありました。)
坊さんのむすこは、やがてタッカシラーにいって、世に名のきこえた先生について、ヴェーダの聖典やそのほかの学問をならいました。そして学問をおえると、先生にわかれをつげて、
「ひろく諸国を見てあるこう。」と言って、旅に出かけました。
そうして、ほうぼう旅しているうちに、あるかたいなかの村に足をとめました。その村のはずれに、1つの大きな部落があって、そこにはチャンダーラという、ごく身分のひくい人たちばかりが住んでいました。ちょうどそのころ、ボーディサッタがもの知りの賢人になって、このチャンダーラの部落に住んでいました。
この賢人は、季節はずれのときに、くだものをみのらせるという、ふしぎな魔法をこころえていました。賢人は朝はやく、かごをつけたてんびんぼうをかついで村を出かけ、森のマンゴーの木のところへいきます。そして期の根もとから七歩はなれたところに立って、魔法の文句をとなえてから、ひとすくいの水をマンゴーの木にふりかけるのです。すると、みるみるうちに枯れ葉は散りおちて若葉がもえだし、花が咲き、その花が落ちると、マンゴーの実がなって、ぐんぐん大きくなっていきます。そしてまたたくまに、その実がうれて、おいしそうな甘い香りがしてきたと思うと、やがてこの世のものとも思われないような、みごとなマンゴーの実がポタポタと落ちてくるのでした。賢人のボーディサッタはそれをひろって、すきなだけたべ、残りはかごに入れて、てんびんぼうでかついで帰り、それを売ったお金で、妻や子どもを養っていました。
坊さんのむすこは、賢人がマンゴーの季節でもないのに、マンゴーを売り歩いているのを見かけました。そして、(あのくだものは、たしかに何か魔法の力で手に入れたものにちがいない。あの男と近づきになって、このすばらしい魔法をおぼえてやろう。)と、思ったので、その男のすることをじっと見ていますと、やがて、その男がどういうふうにしてマンゴーの実を手に入れるかが、はっきりとわかりました。
そこで若者は、賢人が森から帰らないうちに、先まわりして、その家をたずね、そしらぬ顔で、おくさんに、
「先生はどちらへお出かけですか?」と、たずねました。
「森へいきました。」と、おくさんは答えました。
若者はそこに立ったまま、賢人の帰りを待っていました。そしてまもなく賢人の姿が見えると、わざわざむかえにいって、てんびんぼうを受けとり、それをじぶんでかついで、家まで運んできました。賢人は若者をじっとながめながら、妻に、
「あの男は、わしの魔法をならいたくて来たのだよ。だが、あの男はとうてい、この魔法の力を持ちつづけることはできまい。あれは、あまり心がけのよい人間でないからね。」と、言いました。
けれど若者のほうでは、なんとかして先生の手だすけをしながら、魔法を教えてもらうつもりでしたから、その日からこの家の下男に住みこみました。そして、たきぎをひろってくるやら、米をつくやら、煮たきをするやら、洗面の道具をはこぶやら、家族の人々の足をあらうやら、家じゅうの仕事をのこらず引きうけて、かいがいしく働きました。
あるときなど、賢人が、ねながら足をのせる台を持ってきなさいと、言いましたが、見あたらなかったので、若者は一晩じゅう、先生の足をじぶんのひざの上にのせていました。また、しばらくして、そこの家のおくさんがお産をしたときなども、おくさんの身のまわりの世話は、みんな若者がしました。そんなふうに骨身おしまず働いたものですから、ある日、おくさんが賢人に言いました。
「あの若者はよい家のむすこさんだのに、魔法をならいたいばかりに、ああして下男になって、わたしたちにつかえているのですよ。あの魔法を持ちつづけられるか、どうかはべつとして、とにかく魔法をさずけておやりになったらどうですか。」
賢人がそれがよかろうと思って、とうとう若者に魔法をさずけてやりましたが、そのときにこういう注意を与えました。
「若者よ、この魔法はたいあそうありがたい魔法なのだ。このおかげで、おまえは大金もちになり、人にだいじにされることだろう。ただし、もし王さまとか大臣とかが、おまえの先生はだれかと、たずねるようなことがあったら、けっしてわしのことをかくしてはならぬ。もしおまえが、この術をいやしい身分のものから習ったことを恥ずかしく思って、だれかえらい坊さんからでも習ったようなことを言ったら、魔法はたちまちききめがなくなってしまうのだからね。」
「どうして、先生のことをかくしたりいたしましょう。人からきかれたときには、かならず先生からお習いしたと申します。」と、若者は答えました。それからまもなく若者は賢人にわかれをつげて、チャンダーラの部落を立ちさり、みちみち教えてもらった魔法のことを考えながら旅をつづけて、やがてべレナスの都に帰りつきました。そしてべレナスに帰ると、マンゴーを売って大金もちになりました。
ある日のこと、王さまの御殿の庭番が、若者から買ったマンゴーの実を王さまにさしあげました。王さまはそれをたべると、こんなうまいマンゴーをどこから手に入れたのかと、たずねました。
「このあたりに、季節はずれのときに、マンゴーの実を売りにくる若者がございます。わたくしはその男から買いました。」と、庭番は答えました。
「ではその男に、これからはわしのところにも、マンゴーを持ってくるように言ってくれ。」と、王さまは言いました。
庭番が王さまのことばをつたえましたので、それからのち、若者は王さまの御殿にマンゴーを持っていくことになりました。やがて王さまから、じぶんにつかえたらどうかと、すすめましたので、若者は王さまのけらいになりました。そうしてたいへんな財産家になり、王さまのご信任もあつくなるいっぽうでした。
ある日のこと、王さまは若者に、
「おまえはマンゴーの季節でもないのに、おいしくて、かおりのよい、つやつやしたマンゴーの実をいったい、どこからとってくるのかね?魔物からでももらうのかね?神さまからの贈りものかね?それとも魔法で出すのかね?」と、たずねました。
「王さま、このくだものはだれからもらったものでもございません。じつはわたしはひじょうにありがたい魔法をこころえておりますので、これはその魔法の力でみのったものでございます。」と、若者は答えました。
「そうか、それではいつか、その魔法というものを見せてもらいたいものだ。」
「よろしゅうございますとも。お目にかけましょう。」と、若者は答えました。
あくる日、王さまは若者をつれて、郊外の別荘のお庭へ遊びにいき、魔法を見せてもらいたいと言いました。若者はこころよく引きうけて、マンゴーの木のそばへあゆみよると、木の根もとから七歩はなれたところに立って、魔法の文句をとなえ、木に水をふりかけました。すると、まえに言ったようにして、またたくまにマンゴーがみのり、やがてそれがふるようにポタポタとおちてきました。そばで見物していた人たちは、みんな着ていた着物までほうりだして、やんやと大かっさいをしました。王さまはその実をめしあがって、若者にたくさんのほうびをくださいました。そして、
「若者よ、このようなふしぎな魔法をいったい、だれに習ったのかね?」と、おたずねになりました。
若者は、(もしじぶんが、この魔法をいやしいチャンダーラから習ったなどと、言ったら、じぶんの恥になるだろう。みんなは、わたしをさげすむにちがいない。もう、魔法の文句はすっかり覚えこんだのだから、いまさらわすれる心配はあるまい。ひとつこの魔法は、世にも名だかい大先生から習ったことにしておこう。)と、思いました。そこでうそをついて、
「わたくしはこの魔法を、タッカシラーの世にも名だかい大先生から習いました。」と、言いました。若者がじぶんのほんとうの先生のことをかくして、こう言ったとたんに、魔法の力は失われてしまったのです。けれど、だれもそんなことには気がつきませんから、王さまはたいそうごきげんよく、若者をしたがえて町へ帰りました。
それからしばらくして、またある日、王さまはマンゴーの実が食べたくなりました。そこで、郊外の別荘のお庭に出かけて、石でつくった王座にこしをおろし、若者にマンゴーの実を持ってくるように命じました。若者はこころよく引きうけて、マンゴーの木のそばに歩みより、木の根もとから七歩はなれたところに立って、魔法の文句をとなえにかかりました。ところが、どうしてもその文句を思いだすことができません。若者は自分が魔法の力を失ったことに気がつき、恥ずかしさでいっぱいになって、そこに立ちすくんでいました。
そうとは知らない王さまは、(この若者は、この前のときには、大ぜいの見物人の前でも気おくれなどせず、マンゴーをみのらせ、雨のようにふらせてみせたのに、きょうはかたくなって立っている。これはどうしたわけだろう。)と、ふしぎに思ってたずねました。
この前おまえはマンゴーを
大小そろえてとりだした
こんどは同じまじないも
木の実をとるのに役だたぬ
それをきいて若者は、もし、きょうはマンゴーの実をならせることはできませんなどと、お答えしたら、王さまがお怒りになるだろうと思ったので、うそを言ってごまかすつもりで、
星のめぐりを待ちましょう
今は魔法に適しません
めぐりあわせがよくなれば
マンゴーをたくさんとりましょう
と、答えました。王さまはどうもおかしいことだと思って、
「おまえは、この前のときには、星の位置だの時刻だのと、めんどうなことを、言わなかったではないか。これはどうしたわけか。」と、たずねました。
星のめぐりがどうこうと
前におまえは言わなんだ
きれいでかおりも味もよい
マンゴーをたくさんとったのに
前には文句をとなえると
ぞくぞくでてきたマンゴーの実
きょうはまじないきかぬとは
これはいったいいかなこと
それを聞くと若者は、もうこれ以上、王さまをあざむくことはできない、もしほんとうのことを言って、罰を受けるものならそれもしかたがない、とにかく、ほんとうのことを言うようにしようと思って、つぎのように申しました。
わたしの師匠はチャンダーラ
文句と仕方を教えてくれた
「名まえをきかれて、うそつけば
魔法はきかぬ」と言いました
聞かれたときは知りながら
ていさいつくってうそついて
バラモン伝授のまじないと
言ったばかりにこのしまつ
王さまはそれをきいて、(このような尊い宝を、うかうか、なくしてしまうとは、なんという罰あたりなやつだ。こんなすばらしい魔法を知っている先生なら、生まれや身分はどうだってかまわないではないか。)と、思って、おこって言いました。
蜜をさがしている人は
ヒマでもなんでもかまやせぬ
蜜さえとれればそれでよい
どんな木よりも一ばんよい
武士でも僧でも商人でも
どれいであってもかまやせぬ
正しい教えを説く人は
どんな人より一ばんよい
杖とむちでいためつけ
首すじつかんでつまみだせ
やっと宝を手に入れて
高慢ちきでうしなった
けらいたちは王さまの命令どおり、若者を引っぱっていき、
「おまえは先生のところへいって、おゆるしを願ってみるがよい。そしてもう一度、魔法をならうことができたら、また来てもよいが、そうでなければ、二度とこの国に来てはならぬぞ。」と、言いわたして、追い出しました。
若者はみんなから見すてられ、ひとりぼっちになってしまいました。
(こうなっては、先生のほかに、だれもたよりにする人はいない。先生のところへいって、おゆるしを乞い、もう一度、魔法をさずけていただこう。)そう思って、若者は泣きながら、とぼとぼとチャンダーラの村をさして旅していきました。
チャンダーラの賢人は、近づいてくる若者の姿を目にとめて、妻に、
「ごらん、あの罰あたりめが、魔法の力を失くして、またやってきたよ。」と、言いました。
若者は先生に近づいて、あいさつしてすわりました。
「なんの用で来たのかね?」
と、先生はたずねました。若者は、
「先生、どうしましょう!わたくしはうそをついて、先生のお名まえを言わなかったばっかりに、情けないことになってしまいました。」と言って、じぶんのあやまちを白状し、もういちど魔法の文句をさずけてくださいと、たのみました。
平地と思ってふみはずし
穴やほこらや地獄におちる
なわをふんだら黒いヘビ
めくらがとびこむまっかな火
わたしもやっぱりしくじった
魔法はどこかへ消えました
どうか先生もういちど
たすけてくださいたのみます
賢人は言いました。
「なにを言っているのだ。目の見えない人だって注意してやれば、池などはよけてとおる。わたしはおまえに、ただ一度だけ教えてやったのだ。いったいどうしてまたやってきたのだ。」
わしは正しく授けたこの魔法
おまえも正しくうけとった
心がけまで教えたに
正しく暮らせば魔法は消えぬ
骨身おしまずならった魔法
世にもまれなるふしぎな魔法
やっとおぼえた暮らしのすべを
うそでなくしたおろかもの
ばかでおろかで恩知らず
つつしみのないうそつきに
魔法の伝授はまっぴらごめん
さっさと出ていけ おろかもの
こう言われて先生のところからも追いはらわれ、若者はもう生きているかいもなくなって、森のおくへはいり、ひとりさびしく死んだということです。
絶対に守らなくてはならない約束、決まりごとはある。何でも謝ったら許してもらえるわけではないということがよくわかる。
これだけは!というものを自分の中に作っておかないとすべて失ってしまうことになる。人付き合いもそんな感じ。見極めないと大変なことになる。