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行動は言葉よりも雄弁

【インドの古い話】天下一の弓の名人

話に出てくる、ボーディサッタとは「のちに仏陀になるはずの人」という意味で、お釈迦様の前の世の姿のこと。

 

内容

むかしむかし、ブラフマダッタ王が、ベレナスの都で国をおさめていたときのことです。ボーディサッタが王子として生まれたことがありました。名づけの日がくると、アサディサ・クマーラという名をもらいました。これは、「ならぶものなき王子」、つまり「天下一の王子」といういみです。天下一王子が、ひとりで歩いたり走ったりできるようになったころ、王子がまたひとり生まれて、名づけの日がくると、ブラフマダッタ・クマーラと名づけられました。

天下一王子は十六歳になると、学問をおさめるため、タッカシラーにいきました。そこで世にも名高い先生について、三種のヴェーダ聖典と十八種の芸をまなびましたが、なかでも弓術の腕まえにかけては、だれもならぶものがなかったということです。こうして勉強をした王子は、ベレナスに帰りました。

やがて王さまがなくなるとき、そのいまわのきわに、天下一王子がじぶんにかわって王になり、ブラフマダッタ王子は副王になるようにと、言いのこしました、。そして、この世を去りました。それで人びとは、天下一王子に王さまの位についていただきたいと、言いましたが、王子は、じぶんは王さまになる気はないと言って、ことわりました。そこで人びとは、ブラフマダッタ王子を王さまの位につかせました。天下一王子はこの世の名誉をのぞみませんでしたし、何もほしいとは思いませんでした。

そんなわけで、弟のブラフマダッタ王が国をおさめることになりましたが、天下一王子ももとどおり、王らしい暮らしをしていました。するとおそばづかえがやってきて、ブラフマダッタ王に天下一王子のかげ口を言いました。

「天下一王子は、王さまの位をねらっておられます!」

ブラフマダッタ王はこのおそばづかえのことばを信じこんで、だまされてしまい、けらいをやって天下一王子をつかまえさせようとしました。

天下一王子のおつきの者のひとりが、そのたくらみを王子に知らせました。そこで王子は、弟のブラフマダッタ王の仕打ちに腹をたてて、よその国へ出発しました。よその国へつくと、そこの王さまにとりつぎをたのんで、弓のじょうずな者がまいって、待っておりますと、つたえてもらいました。

「何ほどの給料をのぞむのか?」と、王さまはたずねました。

「1年に10万ルピーだそうでございます。」

「よろしい。ここへよぶがいい。」と、王さまは言いました。

天下一王子は、王さまのごぜんによび入れられて、ひかえておりました。

「おまえは射手か?」と、王さまはたずねました。

「さようでございます。」

「よろしい、ではおまえをやとうことにしよう。」

そこで天下一王子は、この王さまにつかえることになりました。けれど、前からいた射手たちは、王子のもらう給料のことで腹たてていました。

「あいつの給料はあんまり高すぎる。」と、射手たちはぶつぶつ言っていました。

ある日のこと、王さまがお庭に出てきました。そしてマンゴーの木の下の、石の玉座の前に幕をはって、りっぱな長椅子に横になっていました。ふと見あげると、木のてっぺんにマンゴーの実が一ふさなっているのが目にとまりました。

(のぼってとるわけにはいかない。)と、王さまは思いました。それで射手たちをよんで、あの1ふさのマンゴーの実を矢で射おとすことができるかと、ききました。

「はい、それはたいしてむずかしいことではございません。けれど王さまは、もうわたくしどもの腕まえは、たびたびごらんになっておられます。あの新しくきた射手はわたくしどもよりたくさんの給料をもらっているのでございますから、あれに射おとさせてごらんになったら、いかがでしょう。」

そこで王さまは天下一王子をよびにやり、こういうことができるかと、ききました。

「それはできます。もしわたくしが適当な場所をえらんでよろしければ。」

「どんな場所がよいか?」

「王さまの長いすのある場所でございます。」

王さまは長いすを動かさせて、そこをあけてやりました。

天下一王子は弓を手に持っていませんでした。弓はいつもはだ着の下にむすびつけていたのです。それで、幕をお借りしたいと、言いました。王さまが幕を持ってこさせて、ひろげさせますと、射手の王子はそのかげにはいりました。そして来ていた白い着物をぬいで、赤い布をはだに着ました。それから帯をむすび、赤い布を腹にまきました。袋から折りたたみできる刀を取り出し、それを組みたてて、左のわきにつるしました。つぎに、金のくさびかたびらをつけ、弓入れを肩にかけ、オヒツジの角でつくった大きな組立て式の弓を取り出し、サンゴのように赤い弓づるをむすびつけました。頭にはターバンをまきました。そしてするどい矢をつめであやつりながら、幕をおしあげてあらわれてきました。そのようすを見ると、まるでおとぎ話の竜の王子がみごとに着かざり、地面をおしわって、あらわれいでたようでした。そして弓を射る場所までいって、弓に矢をつがえ、王さまにこうたずねました。

「王さま、あの1ふさのマンゴーの実を下から射あげる矢で射おとしましょうか。それとも上から落ちてくる矢でおとしましょうか?」

「わしは、ねらったものを、下から射あげる矢で射おとすのは、たびたび見ているが、落ちてくる矢でものを射おとすのは、見たことがない。ひとつ、落ちてくる矢でやってもらおうか。」

「王さま、」と、天下一王子は言いました。「この矢は高いところまで飛んでいくのです。四天王のいる世界まで飛んでいって、それからもどってくるのですから、それがもどってくるまで、しんぼうしてお待ちくださらないといけません。」

王さまは待とうと、おっしゃいました。天下一王子はまた言いました。

「王さま、この矢は飛び立つときに、あの1ふさのマンゴーの実のなっている茎のちょうどまん中を射とおします。おちてくるときも、髪の毛ひとすじほどもずれることなく、寸分たがわず同じところを射ぬいて、あの1ふさのマンゴーの実といっしょにおちてくるでしょう。さあ、ごらんください。」

そう言って、天下一王子はピュウと矢をはなしました。矢は飛んでいくときに、マンゴーの茎のまん中を射ぬきました。やがてその矢が、四天王のもとに届いたと思うころを見はからって、第二の矢をヒュウと、まえよりもいきおいよくはなしました。この矢が最初の矢にはねあたって、そのむきをかえさせ、2番目の矢のほうはそのまま33人の神々のいる世界までのぼっていきましたので、神々がそれをとって、しまっておきました。

はじめの矢が風を切っておちてくる音が、かみなりのようにひびきわたりました。

「あの音はなんだ?」と、人々は口々にききました。

「あれは矢のおちてくる音です。」と、王子は答えました。見物人たちはだれもみな、矢がじぶんの頭の上におちてきはしないかと、ふるえあがって生きたここちもありませんでした。これを見た王子はみんなを安心させてやりました。

「こわがることはありません。あの矢が地面までおちないようにしましょう。」

矢はどんどんおちてきて、髪の毛ひとすじほどもずれず、1ふさのマンゴーの実のなっている茎のまん中を射ぬいて、茎をプッツリ切りました。王子は、マンゴーのふさも矢も地面におちないように、かたほうの手でふさを、もうかたほうの手で矢を受けとめました。このおどろくべき腕まえを見て、見物人たちは、「こんんあことは見たことがない!」と、さけびました。そして偉大な弓の名人をさかんにほめそやし、おおぜいの人が着ている着物を高くほうりあげ、わきかえるような拍手かっさいを送りました。王さまのおつきの人たちもたいそうよろこんで、何千万ルピーというおくりものを、弓のじょうずな天下一王子におくりました。王さまからも、雨あられのようにたくさんの、ごほうびと名誉がさずけられました。

天下一王子がとなりの国の王さまのところで、こんな名誉をうけ、うやまわれて暮らしているうちに、ベレナスには天下一王子がいないということを知った七人の王が、ベレナスの都へ攻めこんできました。そして都をかこんで、国をあけわたすか、でなければたたかえ、という手紙を、ブラフマダッタ王のところによこしました。ブラフマダッタ王は生きたここちもないほどおどろいて、

「兄の王子はどこへゆかれたのか?」と、けらいにたずねました。

「あの方はとなりの国の王さまにつかえておられます。」と、人々は答えました。

「もし天下一王子がきてくれなければ、わたしはもう助からない。わたしのかわりに、となりの国へいき、兄の足もとにひれふして、いかりをなだめ、なんとかして、ここへお連れしてくれ!」ブラフマダッタ王はそう言って、使いをだしました。使いの者はとなりの国へいって、天下一王子にそのことを知らせました。そこで天下一王子は、となりの国の王さまにおいとまごいをして、ベレナスへ帰り、弟をなぐさめて、心配するなと言いました。それから1本の矢に、こういうことばをきざみつけました。「天下一王子は帰ってきた。ただ1本の矢で、おまえたち全部の命をもらうぞ。命の大だいじな者は、逃げるがよい。」

そして王子は高殿にのぼり、この矢を射ると、その矢は七人の王が集まって、ごちそうをたべている金のお皿のまん中へおちました。七人の王は、このことばをよんで、おそろしさにきもをつぶして、逃げてしまいました。

こうして天下一王子は、小さなアブが吸うほどのわずかな血も流さずに、七人の王を追い払うことができました。それから王子は、弟のブラフマダッタ王にわかれをつげて、すべての欲をすて、浮世をすてました。それからのちは、学問と芸をみがくことにつとめましたから、一生を終えると、修行をつんだ人々の生まれる、ブラフマンという神の世界に生まれかわったということです。

 

 

 

自分が得意なものに一生のうちに出会えると、自分の身をたすけることにもなるし、人生を楽しめそうな気がする。そういうものが何なのか、見つけるためにもいろんなものに挑戦できるチャンスがあれば挑戦する時期も必要だと思うし、これだというものを決めたら専念する時期も必要だと思う。

仕事だけをして生きているわけではないから、時間をどのように使うべきか考えて大事に使っていきたい。