内容
世界のすみずみまで探しても、ソロモン王の姫君ほど美しい女性はいなかった。あちこちから若者がおとずれて、姫君を妻にください、とソロモン王に願いでた。だが、ソロモン王のめがねにかなう若者はいなかった。
「残念ですね。杉の木のようにがっしりした若者も何人かいたようですけれど…」姫君はいった。「あの方々とおつきあいする機会をあたえてくださったら、夫にふさわしいかどうか見きわめられますのに」
「つきあって、夫にふさわしいかどうか見極める、だと?」ソロモン王はあきれていった。
「おつきあいしなければ、わかりようがないではありませんか」姫君は、賢い父王にいった。「いずれにしても、わたしはどなたかといっしょにならねばならないのですから…」
だが、ソロモン王は、多くの父親のように、娘はーたとえ、だれより聡明な王の姫君だろうがーだれが自分の夫としてふさわしく、だれがそうでないか決めることなど、できはしないだろうと考えていた。
「そなたには、この分野の経験がまったく欠けておる」王は姫君に説いた。
「だったら、経験をつまなくてはなりませんわ」姫君はそういって、片目をつぶってみせた。「父上は、1000人以上の女性にとりかこまれておいでですものね」
「それは、わたしが男であり、王だからだ!」ソロモン王は怒った。そして他国の王子たちが近寄ってきても、父親のゆるしを得ずに会ったりつきあったりしてはならぬ、とおどして、姫君をさがらせた。
その夜、夕やみがおりてから、ソロモン王は宮殿の屋上にのぼり、空の星を見上げて、気になっていることの答えをさがした。
だれが、姫をめとるのであろうか?
目のまえに答えがチカチカまたたいた。近世のすぐ近くだった。
《この地で、もっとも貧しい男》
まったくもって、気に入らない答えだった。
どうしたらいいのだろう?ソロモン王は考えこんだ。みじめったらしくて貧しい男が姫をめとるなんて、とんでもない。どうやって防げばいいのだ?
王は、頭をしぼりにしぼって考えた。
「そうだ、離れ小島だ!浜から遠く離れた、海図にもない孤島に姫を送ろう。なんと気のきいた考えだ」ソロモン王は自賛した。「念には念を入れて、万全の策を講ずるとしよう」
そう決心し、王はさっそく実行にかかった。どの浜からも遠くて、船の航路からもはずれた離れ小島をえらんで、そこに、島に育つ木々よりはるかに高い塔を築いた。塔には、目と心をなぐさめる窓さえ作らなかったーだれかが偶然その島にたどり着いても、塔に入り込まないように念を入れたのだった。
塔のまわりには堅牢な壁を築き、壁のまわりには護衛を70人配した。貯蔵庫を上等な食料で満たして、料理人にはこう命じた。
「姫が食べたいというものを料理せよ。姫が楽しく食事できるように努めるのだ」すべてが整ってから、ソロモン王は姫君を呼んだ。
「こうしたことすべては、そなたのためだ」ソロモン王はいった。「ソロモン王の姫がうらぶれた貧乏人と夫婦になるなどと考えてはならぬ…それに、そなたとて、飢えと貧しさをがまんして、つぶれかけた家で暮らすつもりなぞなかろう…」
「でも、父上…」若い姫君は抗議しようとした。
だが、ソロモン王は耳をふさいだ。
ソロモン王は、姫の夫となるかもしれない貧しい若者は、またとない優れた人間かもしれない、くらべようもないほど賢く正直で、あらゆることに秀でた才能あふれる人物かもしれない、などという意見は耳にしたくなかった。
ソロモン王はまた、財宝を発見したり、仕事が成功したりして裕福になった貧乏人の話など聞きたくなかったし、貧しい婿に王国の金銀財宝をあたえたという他国の王たちの話も聞きたくなかった。しかし、それ以上に、愛する姫君の泣く姿を見たくなかった。
賢い人も、愚か者のようにふるまうときがある。だれより聡明なソロモン王は、耳をふさいで姫の鳴き声を聞こうとせず、姫に背をむけて自分の部屋にもどっていった。
泣きつかれてくずおれた姫君は、孤島に築かれた塔へ連れていかれた。
みじめな暮らしがはじまった。塔の最上階の鍵のかかった部屋にいる不幸な姫君のうえを、いく度となく、太陽と月が通りすぎていった。
かなしみに沈む姫君をなぐさめようと、料理人がさまざまなごちそうや飲み物を作ってはとどけたが、姫君の心は沈んだままだった。護衛たちはおもしろい話や遊びで姫君の心を和ませようとしたが、それもむだだった。
「姫さま、どうかお願いです。わたくしどもがおそばにいるのですから、そんなにさびしがらないでください」護衛たちは姫君にいった。
「わたしにとって、孤独はつらくはありません。監禁がつらいのです。外に出て、自分の思いどおりに島を歩きまわったり、宝物を探したりする自由がありさえすれば、こんなにかなしくはないでしょう」姫君はいった。
「申しわけありません」護衛たちは正直にわびた。「父君であられるソロモン王が、塔の外に姫さまが踏みださぬように、とお命じなのです。澄んだ空気をお望みなら…」護衛たちは提案した。「屋上に出られたらいかがでしょう。屋上なら空気はよいし、ながめは抜群です」
姫君は屋上にのぼり、海をわたってくるさわやかな風を胸いっぱいに吸い、海をながめてつぶやいた。
「囚われの身でなければ、休暇をすごしているような気分になれるでしょうに」そして、はた、と気づいた。「そう思ってもいいんだわ。囚われの身であっても、心は自由なんですもの」
広々とした景色のなかで生まれたその思いは、姫君をなぐさめ、はげました。昼間は塔の屋上で過ごそうと姫君は決めた。
さて、自分を「囚われの身」と感じているのは、ソロモン王の姫君だけではなかった。島から遠く離れた地で、若い写字生(書記。聖書や口述を筆記する)が、貧しい両親のもとから旅立とうとしていた。
「大事なお父さん、お母さん、わたしはお二人が大好きですが、心は遠くに飛んでおります。学んで知識を深め、自分の世界を広くしたい、賢くなりたいのです」そういって、若者は旅に出た。
若者は、荷物ひとつ持たなかった。サンダルもはかず、裸足のまま、泥道や草原、村や町を歩きまわり、アリ塚をじっとながめ、老人や幼い者たちからたとえ話や機知に富んだ話を聞いて、知恵をみがいた。なにをしているのかたずねられると、「隠れた世界を調べています」と答えるのだった。
若者はひたすら歩き、夜には道ばたで、石を枕にして休んだ。空が暗く沈んで、冷たい風が吹きすさぶ季節になると、泊まる場所を探さなければなくなった。あるときは麦打ち場で、あるときは洞穴で、またあるときは橋の下で眠った。
ある夜、雨風をしのげる場所がどうしても見つからなかったので、若者は牡牛の死骸のあばら骨の間にもぐりこんだ。死骸は悪臭を放っていたが、ぐったり疲れていた若者は泥のように眠りこんでしまった。
あんまりぐっすり眠っていたので、ハゲワシが舞いおりてきて、鋭い爪で牡牛の死骸をつかんで空高く舞いあがり、ついには孤島まで飛んでいったことに、若者は気づかなかった。
「なんだ、だれだ、わたしをつついているやつは?」ようやく目をさました若者は、両手で大きな羽を押しのけ、うろたえながら飛び出した。飛びだし、立ち上がって仰天したー海のどまんなかにある島の、しかも塔の屋上にいたのだ!
朝になり、ソロモン王の姫君は、裸足で半裸で、おまけに死骸みたいにプンプンと臭う、きたならしい若者を見つけてびっくりした。
「どなたですか?」姫君はたずねた。「どうやって、ここにいらしたのです?」
「どうか、怖がらないでください」寒さと興奮で、若者の声はふるえた。
あわれに思った姫君は、若者を部屋へつれていき、身体を洗わせた。新しい服をあたえてから、姫君はしっかりしたまなざしで若者を見つめた。
「どうなさいましたか?」若者は恥ずかしくなって聞いた。
「あなたを見きわめようとしております」そういって姫君は笑った。
清潔になり、きちんと身づくろいした若者は美しかった。美しいだけではなく思いやりもあり、機転もきく、鋭い頭脳の持ち主だということがだんだんわかってきた。
姫君は、若者といると、あきることがなかった。
「こんなよい御方といっしょに囚われるなんて、わたしは運がいいこと」姫君はひとりごち、「護衛に見つからないようにしなければ…」と、自分にいい聞かせた。
姫君は若者を護衛たちから上手に隠した。食事を運ばせても、部屋には近寄らせなかった。
姫君の食事の量はおどろくほど増し、しかも塩や胡椒をぴりりときかせるよう、料理人に命じるようになった。
「食欲がお出になった!」護衛たちは料理人に知らせた。
「すばらしいことです!」料理人はよろこんだ。
「どうやらもう、まえのように、ふさぎこまれておいでではない」護衛たちはいいあった。「島の塔の暮らしにお慣れになったのだろう」と、だれも疑いをもたなかった。
日がたつにつれ、若者に寄せる姫君の愛情は大きくなっていった。
夜ごとに、姫君に対する若者の愛情は育っていった。
ある夜、姫君は勇気をふりしぼって、若者の目をじいっと、はじめて出会ったときのように食い入るように見つめて、聞いた。
「わたしを妻にしたくはありませんか?」
「そうしたいですとも!」若者は叫んだ。「ですが、あなたはソロモン王の姫君。わたしはといえば…無一文の貧乏人です」
「そんなことは、どうでもいいのです!」姫君はいった。「あなたは、あちこちの王子たちより、わたしにとってずっと大切な御方です」
「父君のソロモン王が怖くないのですか?」若者には信じられなかった。「王はあなたを罰することだってできるのですよ」
「もう罰せられました」姫君は答えた。「罰せられてよかった!災い転じて福とな成すです」姫君はそういって、恋人に寄りかかった。
「それならば」と若者はいった。「正式に結婚しましょう!」そういうと、ナイフをとって指から血をたらした。
とっさに、姫が叫んだ。
「なにをなさいます!」
「結婚誓約書を書くのです」若者はみごとな筆づかいで羊皮紙に、愛する人と自分の結婚の誓約を自らの血で書き記した。
「さあ、愛する人、この誓約書をもって屋上にあがろう」と若者はいった。「空がわたしたちの婚礼の天蓋、月と星たちが婚姻の証人になってくれるでしょう」
つぎの日の朝、若者は聞いた。
「これから、どうしますか?」
「愛する御方、わたしたちの結婚を世界じゅうに知らせましょう」ソロモン王の姫君はいった。
そして、その言葉どおりにした。まず、たまご2個をのせた朝食の盆を持ってドアをたたいた護衛が、不意打ちをふたつ食らった。最初の不意打ちは、きのうまで食事の盆をドアの前に置いて下がるようにきつく命じていた姫君の声だった。
「お入りなさい!」
2番目の不意打ちは、ベッドに美しい若者が座っていたことだった。
「紹介します。わたしの夫です!」姫君はいった。
「どうしよう?」護衛たちはいいあった。「ソロモン王になんと説明しよう?お怒りはきりもなかろうが…いや、王には黙っておこう」
護衛たちはそう決めた。しかし、護衛たちは、ソロモン王がそのころ、また星を見て占っていることを知るはずもなかった。
じつは、ソロモン王は気になっていたのだ。そろそろ、姫を塔から出してもいいだろうか、と。
答えは木星のそばにチカチカとまたたいて示されていた。
《すぐ、自由の身に!》
つぎの日、ソロモン王は孤島にむけて出発した。
「姫に会いたい」城壁と門と鍵を調べてから、王は護衛たちにいった。「姫への不意打ちの贈りものをとどけに来た」
「国王陛下、それでは…」護衛たちはいった。「すぐにおわかりになることですが、姫君からも不意打ちの贈りものがございます」
護衛たちは塔の最上階にある姫の部屋までソロモン王を案内し、王の目の前でドアを開けた。
しあわせな2人を目にしたソロモン王の憤りは、それはそれはすさまじかった。
「この若者は、どうやって離れ小島にたどり着いたのだ?どうやって塔にしのびこんだ?」王は怒りくるって、戸惑っている護衛たちに説明を求めた。
「陛下、天からです」
「たわけたことを!」ソロモン王は怒鳴った。「くだらん嘘をつきおって戸口をしっかり警護していなかったのだろう!」
「姫君におたずねください」護衛たちはいった。
ソロモン王が姫君にたずねると、たしかに、同じ答えが返ってきた。
「天から、この愛する御方を授かりました」
「わたしは、ここまで、大きなハゲワシに運ばれてまいりました」若者が姫君のことばをひきついで、両親のもとを旅立ってからのことを話した。
こうしてソロモン王は、この若者こそまさに、星たちが告げた貧しい男だと悟ったのだったー自分はおそらく、ふつうの人間や動物より賢い。だが、星のほうが勝っていたのだ、と。
ソロモン王は、2人をしっかり抱きしめてキスした。
「結婚を望むのなら、祝福をあたえよう」
「ありがとうございます」2人はいった。「もう、結婚いたしました」そういって、若者は血で記した結婚誓約書を見せた。
貧しい若者がこれほど美しい字を書けるのはなぜか、とおどろくソロモン王に、若者は説明した。
「わたしは写学生の息子で、わたし自身も写生を生業にしております」
こうしたやりとりのあと、ソロモン王は2人をエルサレムの宮殿につれていって、大祝宴をもよおした。そして、さまざまな品を花嫁花婿に贈り、花婿の両親にも金銀を贈った。ソロモン王は花婿を宮殿づきの書記に任命し、「箴言(しんげん)」を書きとめさせた。その「箴言」には、こう記されている。
「わたしにとって、ふしぎなことが3つ、知りえぬことが4つある。天にあるワシの道、岩の上のヘビの道、大海の中の船の道、男がおとめに向かう道」
愛の力で王に知らないことを気づかせる
塩が大切という話に似ていると思った。姫は王の命令で宮殿を追いだされても、自分の信じる道を貫くことで、幸せな相手に出会うことができる。そして、王に大切なものが何かを気づかせることができるのである。