話に出てくる、ボーディサッタとは「のちに仏陀になるはずの人」という意味で、お釈迦様の前の世の姿のこと。
内容
むかしむかし、ブラフマダッタ王が、ベナレスの都で国をおさめていたころのことです。ボーディサッタがウズラに生まれかわって、何千羽というウズラをしたがえて、森のなかに住んでいました。そのころ、ウズラをとる鳥さしがいました。鳥さしは、ウズラの住んでいるところにきて、その鳴きまねをして、ウズラをおびきよせ、よってきたところへ、さっと網を投げかけます。それから網のふちをギュッとしぼって、ウズラを一ところに集めると、かごにつめこみ、家へ持ってかえって、それを売っては、暮らしをたてていました。
ある日、ウズラのかしらが手下のウズラたちに言いました。
「あの鳥さしは、われわれの仲間をどしどしつかまえて、しまいには、みな殺しにしてしまうだろう。だが、鳥さしにつかまらないようにする、よい方法が1つある。これからは、鳥さしに網を投げられたら、すぐさまめいめいが、網の目ひとつひとつに首をつっこんで、みんなでいっしょに網を持ちあげて、すきなところへ運んでいくのだ。そして、イバラのやぶがあったらその上に網をひっかけるのだ。そうすれば、めいめいが、網の目からぬけ出して、逃げられるだろうから。」
「よろしゅうございます。」と、一同は承知しました。
あくる日、網が投げかけられますと、ウズラたちはさっそくウズラのかしらに教えられたとおり、みんなで網を持って飛びあがりました。そして、イバラのやぶの上に網をひっかけて、じぶんたちは下からくぐって逃げました。鳥さしは、イバラにひっかかった網をはずしているうちに、すっかり日がくれてしまったので、何も持たずにかえっていきました。つぎの日も、またつぎの日も、ウズラたちは同じことをくりかえしました。そこで鳥さしは、まいにち夕方まで網をはずすのにばかりかかりきって、何も持たずに家へかえるのが、おきまりのようになってしまいました。そこで、鳥さしのおかみさんが腹をたてて、言いました。
「おまえさんは、まいにちまいにち、何も持たずにかえってくるじゃないか。きっとどっか、よそにいくところでもできたんだろう。」
「いやいや。」と、鳥さしは言いました。「べつに、いくところができたわけではない。じつは、ウズラどもが共同作戦をとるようになったのだ。おれが網を投げかけると、あいつらは網もろともに飛びあがり、イバラのやぶに網をひっかけておいて、逃げてしまうのだ。だが、鳥めらも、そういつもいつも仲よくばかりはしていまい。心配するな。あいつらが仲間われをはじめたら、そのときこそ、ごっそりとっつかまえて、おまえさんをにこにこさせてやるから。」こう言って鳥さしはまた、こんな文句をくりかえしました。
心を合わせているときは
網をさらっていく鳥も
いったん けんかをはじめたら
一羽のがさず わしのもの
それから、いく日かのち、一羽のウズラが餌をたべに地面におりるときに、うっかりして、ほかのウズラの頭をふんでしまいました。
「だれだ?ぼくの頭をふんだのは。」と、相手のウズラはおこって言いました。
「ぼくだよ。でも、わざとしたんじゃないんだから、おこらないでくれよ。」と、言われても、ふまれたほうのウズラは、すこしもきげんをなおしませんでした。2羽はさんざん言いあいをしているうちに、
「へえっ、網はおまえひとりで持ちあげたつもりだね。」などという、いやみまで言いはじめました。こうして、ふたりがけんかしているのを見て、ウズラになっていたボーディサッタは思いました。
(けんかずきの仲間はあぶないものだ。こうなってはもう網を持ちあげることはできないから、みんながやられてしまうだろう。鳥さしは、このおりをのがさずやるにちがいない。わたしはもう、ここにはいられない。)
そしてボーディサッタは、おとものウズラたちをつれて、よそへいってしまいました。
はたして2,3日すると、また、鳥さしがやってきました。そして、まずウズラの鳴き声をして鳥をよせ集めると、ばっさり網を投げかけました。そのとき一羽のウズラが言いました。
「おまえは網を持ちあげるのなんか平気だっていうじゃないか。さあ持ちあげてごらん。」
こうしてみんながおたがいに、持ちあげてみろと言いあっているうちに、鳥さしがかわりに網を持ちあげて、鳥どもをごっそりまとめてかごにつめこみ、家へ持ってかえりましたので、おかみさんはにこにこ顔でしたとさ。
自分の居場所を見極める
自分のいる場所の空気や居心地を客観的にみて、自分のためにならないと思ったら距離を置くことをしていくことも大事なんだなと思った。なかなかもともといた場所から独立するのは大変だし、労力もいるし、判断力も必要だなと思う。おともを連れて離れるには、自分の考えに付いてきてくれる人がいるということ。そういう関係づくりも大事だと感じた。