内容
シュムエル裁判官の名声は、スペインじゅうにとどろきわたっていた。シュムエル裁判官は、剣のように鋭い知恵と、罪人の魂までも射抜いてしまうまなざしで、あらゆる秘密をあばくといわれていた。
シュムエル裁判官の友人に、ヤコブと言う仲買人がいた。正直で律儀な商売をするヤコブは、人々から信頼されていた。
ある日、ヤコブは、真珠の首かざりを売ってほしい、ただし500レアル(スペインのお金の単位)より安い値段では困る、とある人物に頼まれた。ヤコブは宝石商に相談しようと、そのみごとな首かざりを預かった。首かざりを抱えて宝石商のもとに向かうとちゅう、ある大臣と出会った。
「ヤコブ、何を大事そうに抱えているのかね?」大臣は聞いた。
「はい、閣下。真珠の首かざりを売ってほしいと頼まれましたので」ヤコブは答えた。
「で、いくらでと?」
「500レアル以上で、といわれております」
「400レアルで、売ってくれまいか?」
ヤコブは困ってうつむき、だが、踏ん張っていった。
「申しわけありません、閣下。400レアルでは、お売りするわけにはまいりません」
「よくも、そのような無礼なことを!」大臣は怒鳴りつけた。
「どうか、お怒りにならないでください。私は、頼まれごとの使いに過ぎません。持ち主に、500レアル以下で売ってはならぬ、と命じられているのでございます」
大臣は落ち着きをとりもどすといった。
「では、その首かざりを持って、我が屋敷までついてまいれ。妻が気に入れば買うとしよう」
ヤコブは大臣の後について屋敷までいった。
「真珠の首かざりを妻に見せてくるから、ここで待っていてくれ。妻の好みに合えば、500レアル払おう、あわないようならかえそう」
そういって、大臣は首かざりを手にして屋敷に入り、扉がしまった。ヤコブはじっと待っていたが、大臣はもどってこなかった。扉をたたいたが、だれも開けてくれない。扉を開けようと押してみたが、錠がおりているのか、ビクとも動かない。日暮れまで待ったが、扉は閉じたままで、だれも出てこなかったし、だれも入っていかなかった。首かざりはヤコブの前から消えてしまった。
日がどっぷりくれるまでヤコブは扉の前に立ちつくし、がっくりと打ちのめされて家に帰った。家の者たちはヤコブの話に心を痛めた。だれも夕飯を口にしなかった。ヤコブは早めに床についたが、服を着たままで、まぶたを閉じることはなかった。心配のあまり眠られず、ひと晩じゅう寝返りをうってばかりいた。
つぎの日、ヤコブは朝早く起きると、パンも水も口にせず、大臣の屋敷に急いだ。門に着くと、ちょうど大大臣が出てくるところだった。ヤコブは小走りで近づいた。
「恐れ入ります。閣下、真珠の首かざりはお気に召しましたでしょうか?それとも、よそに持っていったほうがよろしいでしょうか?」
「真珠の首かざり?はて、真珠の首かざりをわしにすすめたと?」大臣がとぼけていった。
ヤコブは悲痛な叫びをあげた。「きのう、わたしがおあずけした真珠の首かざりでございます!」
「白昼夢でも見ているのか?真珠の首かざりをあずけただと?眠ったまま歩いて、夢のなかで首かざりをあずけたんだろうよ」大臣はからかった。
「閣下、どうかわたしの心を打ち砕くないでください。おあずけした真珠の首かざりをお返しください。持ち主に返さないと、私はパンさえも買えなくなってしまいます」
大臣は、青すじをたてて吠えた。
「これ以上うるさくつきまとうなら、牢屋に入れてしまうぞ!牢屋で真珠の首かざりはどこだと、ほざいておればいいわ」
ヤコブはうろたえて引き下がった。どうしよう、首かざりをとりもどすには、どうしたらいいんだろう、と思い悩みながら何時間も歩きまわった。おろおろ歩いていると、友だちのエルハナンに出会った。
「死人みたいに真っ青な、うつろな顔をして、いったいどうした?」いエルハナンは心配した。
ヤコブは事の次第を話し、どうしたらいいか相談に乗ってくれ、と友だちにすがりついた。
「シュムエル裁判官がいるじゃないか」エルハナンはいった。「大急ぎで裁判官に会うんだよ。君だって知っているじゃないか。シュムエルは賢明な裁判間で、正しい裁きをしてくれるって」
ヤコブは急いで裁判所にむかった。ヤコブを見て、シュムエル裁判官は言った。
「ヤコブさん、どうしました、暗い顔して。災難にでもあいましたか?」
ヤコブはうなだれたまま答えた。
「裁判官殿、困ったことが起きてしまいました」
「話してください、お助け出できるかもしれませんから」
「助けていただきたくて、必死に走ってまいりました。しかし、こうして裁判官殿のまえに出ると、笑われてしまいそうで話せません」
「心配しないで話すのです。正直に話してくれたら、笑わないでしょう。あなたを信じていますよ」
ヤコブは一部始終を話した。裁判官は微笑んでいった。
「心から怒りを追い出し、胸からかなしみをとりのぞきなさい。私が真珠の首かざりをとりもどしましょう」
ヤコブは礼をいって、家に帰った。
つぎの日の朝、シュムエル裁判官は、町の有力者や名士に、「話があるので裁判所にお越しいただきたい」と案内をだした。
招待された有力者や名士たちは、裁判官の知恵にあふれた話を聞こう、とわれさきに駆けつけた。
彼らが到着するまえに、シュムエル裁判官は、裁判所の手伝いをしている少年に命じた。
「大臣が来たら、剣を腰にさしたまま裁判所に入ってはいけない規則だと言って、入り口に置かせなさい。そして、その剣を持って、大臣の屋敷に至急いき、奥方が扉を開けたら、こういいなさい。『おとといお求めになった真珠の首かざりをお預かりするようにと、こちらのご主人さまの命令で参上いたしました。名士の方々に真珠の首かざりのみごとさ、美しさを見せたいから、急いで持ってまいれ、とおおせにございます。わたしを信用いただけるよう、剣をおあずかりして参りました』と」
少年は言われたとおりにした。
屋敷にいた奥方は大臣の剣を見て、少年に真珠の首かざりを渡した。
「これを主人にとどけてください。でも、とられたりしないよう、くれぐれも気をつけて。たいそう高価なものですからね」
少年は裁判所にもどると、シュムエル裁判官に首かざりを渡した。裁判官は法衣のひだにそれを隠した。
シュムエル裁判官が少年の肩をたたいてほめていると、ヤコブがあらわれた。法廷に集まっていた有力者や名士たちは、なぜ、こんなに席に仲買人が来たのかと、いぶかしんでざわめいた。
シュムエル裁判官は、席につくと声をはりあげた。
「大臣殿、前へ」
大臣は、おだやかならざる気分で席を立った。
「仲買人ヤコブから真珠の首かざりをだましとったと認めますか?」シュムエル裁判官の声が、一段とひびきわたった。
「とんまのヤコブが、どんな真珠の首かざりのことをいっているのか存じません。きっと気がふれて、夢のなかで首かざりを見たのではありませんか」大臣は横柄な口調でいった。
いかにも、と同調した笑いが名士たちのあいだに広がった。
と、いきなりシュムエル裁判官が立ちあがった。そして、法衣のひだのあいだから首飾かざりをとりだして、ヤコブに見せた。
「これが、その真珠の首かざりですか?」
「はい、その首かざりです、裁判官殿」ヤコブが言った。「1度も見たことのない首飾りですな」大臣は、なおも白を切った。
「大臣殿は偽りをいっています」シュムエル裁判官は声を高めた。「この真珠の首かざりは、大臣殿の奥方が裁判所の使いの少年にわたしたものです。わたしが、少年に使いを命じました」
大臣は顔色をなくして、白状した。
しか裁判官はヤコブに首かざりをわたし、ヤコブは公正なの裁きに感謝して、よろこびの涙を流したのだった。
自分を信じてくれて、嘘をはっきり嘘だとわからせるような行動をとってくれる裁判官のような人が近くにいてくれると安心できるな。
こうやって平気で簡単に嘘をつく人は嫌だし、信頼されないと思うけど、大臣になれてしまうのが不思議。