Actions speak louder than words.

行動は言葉よりも雄弁

【世界の深い知恵の話】真珠

内容

 ずっとむかし、時がはじまるよりもっとまえといってもいいころ、海の底の砂の中をさまよい歩いている牡蠣がいました。

 ある満月の夜、深い海の底の真っ暗な片隅に明るい月光がさしこみました。牡蠣は次の光が固い殻をとおして体の芯までしみこむのを感じて、なぜともなくその神秘的な光に強く惹かれ、まるで磁石に引かれるように海面へ、光の源へと近づきました。

 牡蠣は海中をゆっくり、けれども休まずに上がっていきました。海面に顔を出したとき、牡蠣は月光の輝かしさに圧倒されました。水の下にいたときと違って、その光は彼女の全身にしみとおるようでした。牡蠣はその輝かしさ、力強さに魅せられて、あたかも何かにうながされるように自分から殻を開き、月の光に自分を明け渡しました。まるで彼女の全身に魔法がかかったようでした。自分から開けた殻の隙間から月光が体の芯にまでしみとおるのを、そしてそのまま自分のうちにとどまるのを、牡蠣は感じました。

 牡蠣は不死身ではありませんでしたが、ほんの束の間、何かをはっきり見て取る力があたえられました。引き潮の勢いで牡蠣はふたたび海の底に投げ出されました。けれども月の光との、その瞬間的な出合のせいで、牡蠣のうちにきよらかな真珠が形づくられたのです。牡蠣は生涯、その真珠を大切にかかえていました。真珠は人知れず、少しずつ大きくなっていきました。

 牡蠣は年を取りましたが、自分の体の核のうちにそっと秘め持っている宝のことをけっして忘れませんでした。けれどもある灰色の明け方、海が大荒れに荒れました。一艘の漁船の影が牡蠣の寝床にさしこみました。何が自分に起こっているのか、思いめぐらす間もなく、牡蠣は死の網に捉えられて海から引き上げられました。牡蠣はがっかりしました。牡蠣のうちに秘めかくされている真珠も、恐ろしさにふるえおののきました。漁船の船底で、牡蠣はこれからどうなるのだろうと生きた心地もしませんでした。

 夜になりました。嵐の勢いはおとろえ、おだやかになった海面に満月がふたたび光を投げかけました。満月は暗い夜空に浮かぶ真珠貝のようでした。漁船の船底から年老いた牡蠣はいまわの際に大空を見上げました。真珠を形づくってくださった大いなる創造主のやさしい手にしっかり抱き取られているのを感じながら。

 創造主の指が自分を大切そうにつまんで、生きていた年月のあいだにさまざまな経験がこびりついてゴツゴツしている殻をこじ開けてくださるのを、そしてその殻のうちにご自身が形づくられた真珠を愛のこもるまなざしでごらんになるのを感じて、牡蠣は息をひそめました。

 「わたしはおまえを待っていたのだよ、小さな真珠」と創造主はささやかれました。「おまえの輝きが加わらなくてはわたしの永遠の首飾りは完成しないのだからね。」

 創造主はその真珠をそっと取り上げて、大いなる首飾りのところに導いてくださいました。その首飾りは水平線のかなたまで果てしなく伸びていました。一つ一つの真珠が創造主の特別な愛の対象でした。すがすがしいその光の環を、創造主は地球のまわりに置かれました。

 今日なお、その大いなる首飾りは地球のまわりで永遠の光を放っています。

 

 

 

漁船の話あたりから、人の手が入ってきたように思うけど、結局この敬語の使い方的に、人が相手ではない気がする。神様が入ってくる話は難しい。

牡蠣とか栄螺の真珠層はとてもきれいな輝きをしているから、つい集めたくなる。一時期磨いて真珠層を溶かし出すことにハマっていたこともあったな。

真珠の作られ方の話なのかな。結局何が深い知恵を表しているのかが難しい話だった。