内容
神は小魚にユダヤ教の大切さを教えようとした。しかし、小魚は「目に見えないものなど価値がない」と関心をもたなかった。そこで神は一瞬だけ小魚の周りから水をなくしてしまった。
体をバタバタさせて小魚は苦しみがり、水がないため鱗も乾いてしまい、それは大変な思いをした。神が水の中に小魚を戻すと、恵みの水に体を存分に浸し「目に見えないものがなければ、私は生きていけないことがやっとわかりました。」と小魚は神に言った。水の大切さを知った小魚は2度と自ら離れようとしなかった。
あるとき水辺にキツネが来て、泳いでいる小魚をからかった。
「魚さん魚さん、なんでそんな狭い小川の中で、一生懸命流されまいとウロウロしているんだい?一度陸に上がってきてごらんよ。食べ物はいろいろあるし、遊ぶところだって水の中よりいっぱいあるよ。」
「とんでもない。私たちは水の中でしか生きられないのですよ。」
目に見えないものこそ大切なもの
目に見えるものだけでなく、見えなくても自分にとって必要なものがあることを教えている。
「いつもの1日」という水。その水にはどんな意味があるのか。
忘れてしまったり、気づけていないことが山のようにある。当たり前だと思っていることも、最初は疑問を持っていたことも、時間が経ってそれが「当たり前」になった瞬間に忘れてしまう。
無意識の中に入っていくものが増えていく度に「人生の色」は減っていく。
「自分がどんな水の中で生きているのか」をもう一度振り返ってみる。
人は自分が今まで多くの大切なことを(心で)見ないで、過ごしてきたか気づくべき。
目に見えるもの(数字、預金、株、円高円安、レストランの評判など)に関心を向けてばかりいると、それは別の目に見えない大切なもの(人との絆、家族愛など)に囲まれて生きていることを忘れがちである。