内容
モロッコのある町に、貧しいユダヤ人の一家が住んでいた。きびしいどん底の暮らしで、夜明けまえから、日が暮れて星がまたたくころまで働いても、ほんのわずかしかかせげなかった。少しばかりの干からびたパンと水で日々をしのぎ、運がよければ、たまには肉の切れはしが浮いた水っぽいスープを口にできる、と言うぐあいだった。
ユダヤ人の崩れ落ちそうな家の近くに、豪華な屋敷があった。広々としたバルコニーや大広間、りっぱな家具調度が整った部屋がいくつもあるその屋敷には、商売に成功して財産を築いた、スペイン出身のキリスト教徒が住んでいた。
毎朝、夜が明けるまえに、貧しいユダヤ人と金持ちのキリスト教徒は、それぞれ家を出た。金持ちは大きな商いに、ユダヤ人はわずかな収入を求めて。2人が道で鉢合わせすると、金持ちはからかっていった。
「おや、早起きして金を集めにお急ぎですな?ボロをまとっているのは、ボロの下に金貨を隠せば、ご強盗に襲われないからですかな?」
ユダヤ人はうつむいて、ひとことも返さなかった。
過越の祭(モーセに率いられたユダヤ人たちのエジプトを脱出を記念する春の祭)が近づいてきた。貧しいユダヤ人の妻は、「せめて、過越の祭を祝えるぐらいは、かせいでおくれよ」と何度いった。「家のなかは空っぽ、売れそうな家具ひとつないんだよ。過越の祭をお祝いできなかったら情けないし、みっともない。ねぇ、どんな仕事だってかまわないから、かせいでくださいよ」
ユダヤ人はうなだれ、重い足どりで家を出た。ちょうど家を出てきた金持ちは、そんなユダヤ人を見て、思いきりあざ笑った。
「いや、ユダヤ人殿、ご機嫌うるわしいようですな。過越の祭の晩餐の支度はできましたかな?」
「過越の祭は神の祭、神がきっとお助けくださるでしょう」ユダヤ人はいった。
朝な朝な、同じやりとりが交わされた。金持ちがからかい、ユダヤ人は同じように答えた。
「過越の祭は神の祭、神がきっとお助けくださるでしょう」
日がどんどんすぎ、過越の祭が近づいた。なぜか、こういうときに限って仕事が見つからない。金持ちのあざ笑いに身をさいなまれ、妻の涙で心はチリチリ焼かれたが、ユダヤ人は頑固にいいつづけた。
「過越の祭は神の祭、神がきっとお助けくださるでしょう」
過越の祭の2日前、この祭に欠かせない種なしパンを買う小銭すらないユダヤ人に、金持ちはいった。
「おはよう、ユダヤ人殿。今日は大きな商いがあるものですから、急いでましてね。おしゃべりを楽しめないのが残念だが、お宅も祭の買い物に急いどるでしょう。うまいものを手に入れて、腹いっぱい食べる事ですな」
ところで、金持ちの屋敷には小さな秘密の部屋があった。そこのアルコーブ(壁の凹み)には金貨のつまった箱があって、全財産が保管されていた。
その日の朝、金持ちは金貨を何枚かとりだし、商いに急ぐあまり、箱を閉め忘れた。箱からは、水にぬれないように油紙に包まれた金貨がのぞいていた。
屋敷には泥棒よけに番犬が飼われていて、その犬は油紙をかじるのが大好きだった。犬は箱に飛びつき、油紙にむしゃぶりついて、油紙ごと金貨をつぎつぎに呑みこんだ。金貨はぜんぶ犬のお腹におさまった。ところがしばらくすると、犬ははげしい痛みに襲われだした。あちこち走りまわり、助けを求めて吠えたが、だれも気づいてくれない。犬はのたうちまわり、とうとう死んでしまった。
日が暮れて帰宅した金持ちは死んでいる番犬を見つけた。なぜ犬が死んだのかわからないまま、金持ちはいまいましげにいった。
「この犬で、あのユダヤ人をからかって笑い者にしてやろう。過越の祭に、これまでもらったこともないものを贈ってやろうじゃないか」
金持ちは、犬の死骸をユダヤ人の庭に放りこんで叫んだ。「過越の祭の贈り物だ!受け取ってくれ、ユダヤ人殿。神が助けてくださると言っていたが、神からの贈りものだ。全部、お前さんのものだ」
つぎの日、ユダヤ人は夜明けまえに目をさました。明日からの過越の祭だから、今日こそなんとかかせがなくてはと思いながら、ふと庭に目をやると、犬の死骸があって、上に紙切れがおいてある。
そばに行くと、近くの金持ちの番犬だとわかった。犬をよくよくながめてみると、口の中に金貨がある。そうっと金貨をひっぱりだしてから、犬を埋葬しようと脚を持って逆さにした。すると、犬の口から金貨が転がり落ちた。犬をふると、金貨がまたざくざく落ちてくる。ユダヤ人は金貨を集めながらつぶやいた。
「過越の祭は神の祭、きっと神がお助けくださったのだ」
ユダヤ人は庭に穴を掘って、犬を埋葬した。それから家のなかに入り、手を洗い、早朝の祈りを捧げた。妻が起きてくると、金貨を何枚も渡していった。
「ほら、これで晩餐に入り用なものを買っておいで。ケチケチしないでいい。だって、過越の祭は神の祭なんだから」
妻は大急ぎで、家族全員の衣類を買いに出かけた。種なしパンやぶどう酒、晩餐に入り用なものも、すべて買って帰ってきた。
過越の祭の第1夜、ユダヤ人の家には明るい灯がともった。食卓にはおいしそうな料理がならんだ。新しいグラスにブドウ酒がきらめいた。全員が新調の晴れ着をまとい、家長の頭には、金糸の刺繍がほどこされたキパ(ユダヤ教徒の男性がかぶるつばのない帽子)がのっていた。
金持ちのキリスト教徒はユダヤ人の家を窓越しにのぞきこんで、豪華な食卓にびっくり仰天した。
「みじめったらしいのユダヤ人が、なぜまたあんなに豪勢な晩餐を?仕事もなく、小銭すらもっていなかったのに、いきなり金持ちになったとはどういうわけだ?」
胸騒ぎをおぼえて、金持ちは金貨をしまってある部屋に急いだ。アルコーブに置いた箱が開いている。なかは空っぽ、金貨は影もかたちもなかった。金持ちは怒りのあまりとびあがり、ユダヤ人の家に押しかけてわめいた。
「このどろぼう!盗っ人め!わしの金貨をぜんぶ盗んだな!」
ユダヤ人はいいかえした。
「あなたのものなど、なにひとつ盗んでいない。いやがらせをつづけるのなら、その責任をとってもらいますよ」
「わしの全財産を盗んだ!おまえは盗っ人だ!」金持ちはわめいた。
「お宅の金などの盗んでいない!わたしに文句があるなら、裁判所に訴えるがいい!」と、ユダヤ人はいい放った。
つぎの日、金持ちは裁判所に急いで、ユダヤ人を金貨泥棒として訴えた。数日して、2人は裁判所に呼ばれた。
裁判官は金持ちのキリスト教徒に、訴えをくわしく説明しなさい、といった。キリスト教徒は、アルコーブに置いた箱に金貨を入れておいたと話し、その金貨がぜんぶ消えてしまったと訴えて、こう叫んだ。
「この犬畜生のユダヤ人が金貨を盗んだんです!こいつは金貨を盗んだ犬です!」
裁判官は、今度は貧しいユダヤ人に聞いた。
「訴えについて、言い分がありますか?」
ユダヤ人は笑っていった。「犬、ですか…なるほど、犬、ね」
裁判官はしかりつけた。「無礼な態度は許しませんぞ。あなたは泥棒の罪で訴えられているのです。何か申し開きすることがありますか?」
ユダヤ人はいった。「原告に、犬を飼っていたか、わたしを笑いものにしようとしたのはなぜか、聞いてください」
裁判官は原告のキリスト教徒に向かってきた。
「私には被告のいっていることが理解できないが、あなたなら、きっと説明できるでしょう。ここで、犬が問題になるとはどういうことでしょう?被告を笑い者にしたとは、どういうことです?」
キリスト教徒は裁判官に向かっていった。
「帰宅したら、犬が死んでいました。その死骸をユダヤ人の庭に投げ捨てたんです。『過越の祭の贈りものだ!ユダヤ人殿、これが神からの贈りものだ』と怒鳴って、走り書きもつけて。生きている犬は、死んだ犬をもらうのもうれしいだろう、と思ってのことです。このユダヤ人と、ユダヤ人の祭への贈りもののつもりでした」
ユダヤ人が口をはさんだ。
「その犬のお腹に金貨がつまっていたのです。金貨を呑み込こんだ犬の罪を、なぜ、わたしが負わなければいけないのでしょうか?」
それを聞いて、裁判官は原告のキリスト教徒にいった。
「あなたは自ら判決を導きだしました。あなたは、『過越の祭の贈りものだ!ユダヤ人殿、これが神からの贈りものだ』といいました。つまり、あの金貨は贈りものだったわけです。被告の言い分が正しい。あなた自身の悪意が、自らの身に災いをもたらしてしまったのではないですか?」
ユダヤ人はほっとして家にもどり、過越の祭の意味をあらためて思いながら、聖書の「出エジプト記」を読んだ。そして、つぎの箇所でおかしそうに笑った。
「イスラエルの人々に対しては、犬ですらうなり声をたてない」
大人でもこういういじめっ子みたいな人がいるから、冷静に対応する必要があるなと思う。
ハブルータをするようになってから、学校に意見(クレーム)がある保護者と関わるうちに、家庭内であんまり会話ができていなかったり、話を聞いてくれる人が周りにいないのだろうなと思うようになった。その保護者の話をうんうん、辛いやですよね、大変でしたねーと聞いているうちに、だんだん収まっていくのがわかるようになった。
そのせいで自分がイラっとすることもあるけど、大体周りの先生とか夫に聞いてもらってるから、溜め込まないで済んでる!
話せる相手を作るのは大事だなと思う。