話に出てくる、ボーディサッタとは「のちに仏陀になるはずの人」という意味で、お釈迦様の前の世の姿のこと。
内容
むかしむかし、ブラフマダッタ王が、ベレナスの都で国をおさめていたころのことです。ボーディザッタが王さまの大臣の家に生まれ、やがて、おとなになると、国をおさめる上にも、身のおこないについても、なにくれとなく王さまを教えみちびいていました。
ところでこの王さまは、たいへんなおしゃべりずきでした。王さまがしゃべり出したとなると、ほかの人はだれもことばをはさむことができません。ボーディサッタは、どうにかしてこのおしゃべりのくせをやめさせたいと思って、よいおりを待っていました。
ちょうどそのころ、ヒマラヤ山の山おくの池の中に、1ぴきのカメが住んでいました。あるとき、2羽の若いハクチョウがその池に餌をさがしにおりてきて、このカメと知りあいになり、3人はだんだん仲のいい友だちになりました。ある日、ハクチョウがカメに言いました。
「カメさん、わたしたちはね、ヒマラヤ山のなかでも気もちのよい、チッタクータ山の高原の金色をしたほら穴の中に住んでいるのですよ。どうです、あなたもいっしょにきませんか?」
「でも、どうしてわたしがそんなところまでいけるでしょう?」
「それはむろん、わたしたちが連れていってあげます。あなたが口をしっかりむすんで、何もしゃべらずにいることができさえすればね。」
「そんなことは、わけもないことです。ぜひ、つれていってください。」
そこでハクチョウはカメに1本の棒きれをくわえさせ、その棒の両はしをじぶんたちがくわえて、空高くまいあがりました。
村の子どもたちがそれを見て、「ハクチョウが棒っきれにカメをぶらさげて、運んでいくよ!」と、さけびました。
ハクチョウは、いきおいよくとびつづけて、ちょうどそのころには、ベレナスの王さまの御殿の上にさしかかっていたのです。カメは子どもたちのことばを聞くと、だまっていられなくなって、(このガキども、わたしの友だちがわたしをいいところへつれていってくれるんだ。おまえたちはよけいなことを言うな。)と、どなってやろうと思いました。そして、口をひらいたはずみに、くわえていた棒きれをはなしたものですから、カメはまっさかさまに地面に落ちて、からだがまっぷたつにわれてしまいまいました。
王さまの御殿では、たいへんなさわぎがおこりました。
「カメがお庭におちて、まっぷたつにわれたぞ!」と、みんながさけびました。王さまの相談役のボーディサッタやおつきの者たちといっしょに、その場へ出むいて、からだのこわれたカメをごらんになり、「どうして、こんなカメが落ちてきたのだろう。」と、ボーディサッタにたずねました。
ボーディサッタは、自分の考えを王さまに話してきかせ、いまこそ王さまをおいさめするのによい時だと思いましたので、カメとハクチョウの話をしました。そして、「こういうわけでこのカメは、ものを言ってはならないときに、だまっていられなかったため、空から落ちて死ぬようなことになりました。くちかずが多すぎて、時をかまわずおしゃべりするような人は、とにかくこのような不幸な目にあうものです。」と、申しあげ、つぎのような文句をとなえました。
おしゃべりをしたばっかりに
カメはとうとう死んじゃった
棒きれくわえていたときに
うっかり口をきいたから
王さま どうぞごらんなさい
賢いことばもほどほどに
しないとおしゃべりガメのよう
わが身をほろぼすもとになる
王さまは、これはじぶんのことを言っているにちがいないと思って、相談役のボーディサッタに、「それはわしのことか?」と、たずねました。ボーディサッタは、
「王さま、あなたさまにせよ、ほかの人にもせよ、とにかく、むやみにおしゃべりをする人は、このような目にあうものです。」と、きっぱり答えました。それからというもの、王さまはことばをつつしみ、くちかずのすくない人になったということです。
相手に気付かせるように教える方法としておもしろいなと思う。教え方、言い方の工夫ができる人になりたい。