Actions speak louder than words.

行動は言葉よりも雄弁

【世界の深い知恵の話】ほんものになる

内容

 

 革張りの木馬は子ども部屋のどのおもちゃよりも長生きでした。とても年を取っているからでしょう、茶色の皮はところどころはげて、下の縫い目が目立っていましたし、しっぽの毛はビーズのネックレスをつくるために大部分、引き抜かれていました。木馬はとても賢くて、機械仕掛けのおもちゃが入れ替わり立ち替わり、大きな顔をして現れてはゼンマイがこわれて、あっけなく捨てられるのを見てきました。どれもただのおもちゃにすぎず、ほんものに生まれ変わるわけはないということを、木馬は知っていました。子ども部屋にはどうやら、とてもふしぎなすばらしい魔法がはたらいているようです。年を取って、経験をつんだ、賢い者だけがそのことを知っているのでした。

 「ほんものって、どういうことですか?」とある日、ウサギがききました。ばあやさんが掃除にやってくるまえのこと、ウサギが炉囲いの前に木馬とならんで寝そべっていたときのことでした。「ぶんぶんうなるものがおなかの中に入っていて、突き出ているハンドルを回すと、景気よくうなりだすーーーそういうことですか?」

 「ほんものというのは、仕組みじゃあないんだよ」と木馬は答えました。「ある日、突然起こることなんだ。子どもがただ遊び相手にするだけじゃなく、長いこと、心から愛してくれると、ほんものになれるのさ。」

 「ほんものになるには痛い思いをしなきゃならないんですか?」

 「ときにはね」と木馬は答えました。どんなときでも、うそは言わないことにしていたのです。「だが、ほんものになったら、痛みなんて、気にならないんだよ。」

 「ゼンマイを巻いたときみたいに、一時に起こるんですか?それとも少しずつ、起こるんでしょうか?」

 「一時に起こるといったものではないんだよ。まあ、いつに間にか、そうなっているんだ。長いことかかってね。だから、こわれやすいものはめったにほんものにならない。とがったものや、大切にしまっておくものも、ほんものにはならないだろう。何かがほんものになるころには、大部分の毛がすりきれ、目は取れて落ち、関節もガタガタになっているだろうよ。だが、そうしたことを気にするにはあたらない。ほんものになったら、醜いままでいるわけはないんだから。ほんもののわからない者には醜く見えるかもしれないがね。」

 「じゃあ、あなたはほんものなんですか?」とウサギはききましたが、すぐ、そんなこと、言わなければよかったと後悔しました。木馬が気をわるくするんじゃないかと思ったからでした。でも木馬はにっこり笑いました。

 「今の子どもたちの叔父さんが、わたしをほんものにしてくれたんだよ。何年もまえのことだ。いったん、ほんものになったら、ほんものでなくなることはけっしてないんだよ。そのときからほんものでありつづけるのさ。」

 

 

 

 

 

 

本物であり続けるとはどういうことだろう?本物になるのには時間がかかるのはわかる。本物であり続けるために、努力を続けていくということなのだろうか。日ごろから学び続けることと近い気がする。

こわれやすい物や大切に閉まっておくものも本物になれないとはどういうことだろう?すぐにあきらめてしまう人や外の世界を知ろうとしない人のことかな。そういった人たちも本物にはなれないということを表しているのかなと思う。