内容
ある日、神様とアブラハムがソドムの町について話していました。
神「ソドムの町は悪人だらけだから焼いてしまおう。」
この後アブラハムはどのようにして(何と言って)町が焼かれないように、神様を説得したでしょう?
アブラハム「ちょっとお待ちください。もしソドムの町に50人の善人がいたら一緒に焼いてしまうおつもりですか?」
神「ふむ。50人もいるようであれば、焼くのをやめよう。」
アブラハム「そうですか。それでは無礼を承知でもう1度聞かせてください。もし善人が50人より5人だけ少ないとしたらどうですか?あまり変わらないように思いますが。」
神「45人か。たしかにそれぼど変わらないな。よし45人善人がいればソドムの町は救うことにしよう。」
アブラハム「失礼ながらもう1つ聞いてもよろしいでしょうか?…もし45人より5人少ない善人がいたとしてもお焼きになりますか?」
神「そうだな。40人も善人がいるようであれば、ソドムの町を救ってもよいだろう。」
アブラハム「もし、40人より10人欠けて30人善人がいても町をすべて焼くおつもりですか?それが正義というものでしょうか?」
神「いや、30人いれば町は助けよう」
こうして、アブラハムは交渉を続け、10人の善人がいればソドムの町を助けることを神様と約束しました。
小さく始めて、大きく育てる
言葉を選びながら、Aが良ければA'でも良いでしょ?という理論ができる限界まで人数の交渉をした。
相手が誰であれ交渉は続けるべきである。神を相手にしてひるまずに交渉する態度が大事である。
たとえ自分に不利な条件であっても、まず合意できるところを探り交渉の舞台に乗せる戦術をとっている。あくまでも交渉を続けて、有利な条件を引き出すまでねばる必要がある。
今回の期末試験の案を1つだけでも通したのは、だいぶ不利な条件だったけど、とりあえず出題はできたというところで交渉した意味があった。そしてこの結果を次の試験のときに有効的に使いたい。今はまだほんの小さな1歩であるが、これを繰り返して大きくしていくつもり。
やはりこういう交渉術など、読んで知っているだけでいることと、実際にやってみてどこまで通用するのかを見極められることは違うと思った。やはり、知った技はどんどん試すべき!失敗してもまた次で試せば良し!